はじめまして。『いっせい』と申します。
東京出身の【複業せどらー】です。
「複業」をあえて「副」業としていないのは理由があります。
といわれている中、
複数の収入源を持つ必要があると考えたからです。
仕事を複数持つことで、それぞれの仕事に良い影響を与え、収入のベースも一つにしぼられない点が魅力です。
そして、何事も全力で取り組んでいますので、メインとかサブみたいな「副」よりも「複」業の方がしっくりきたからです。
終身雇用の時代は終わりました。
幸せに生きていくには、最低限のお金が必要です。
お金があれば、健康を維持しやすくなりますし、充実した人間関係を築く事も出来ます。
人生を楽しく過ごせるように、似た価値観を持った人と繋がりたくて、せどりを始めました。
どうぞよろしくお願いします。
「いっせい」ってこんな人
■ハンドルネーム:いっせい
■年齢:アラフィフ
■家族構成:妻と大学生と高校生の息子2人
■出身:東京都・関東に出没
■血液型:B型 よくA型?と間違われます。
■趣味:妻と晩酌。子供達が成人になって晩酌するのが待ち遠しい。
■好きなこと:スキー、「釣り」からの料理
→最近出来ていないので、自由人を目指して複業を頑張っています。
小学生時代
■家族構成:年金暮らしの祖母、サラリーマンの父、専業主婦の母、姉と自分の5人家族。
「贅沢は敵だ!」と事ある度に言う父のもと育てられました。
亡くなった大工の祖父が建てた、当時すでに築20年位の木造住宅に住んでいました。
老朽化がすすみ、隙間風が常に入ってくる家。
家にはエアコンもなく、夏は汗だく…、冬は家の中なのに吐く息が白かった日々…。
家にいる時も外出する時と同じような服を着て過ごしていました。
家に自家用車もなかったので、毎年1回だけ行く夏休みの旅行は電車でした。
スーパーカーブームで
▼「サーキットの狼」
が好きで、「大人になったら車を買うぞ!」と小学生ながら野望を持っていました。
祖母と母は、いわゆる嫁と姑。
仲が悪くしょっちゅう喧嘩をしていました。
バツが悪そうにしている父でしたが、仲裁に入る訳でもなく、いつも黙って喧嘩が終わるのを待つだけでした。
「早くお金を稼いで家を出たい!」とこの頃から思い始めていました。
■習いごと:当時は子供を習いごとに通わせるのが流行っていました。
そろばん、習字、お絵かき教室、スイミング、サッカー、野球と多忙な毎日。
■好きな遊び:かくれんぼ、缶けり、警泥など外でみんなと遊ぶのが好きでした。
▼「巨人の星」「ドカベン」
にはまり、野球チームに入り、
▼「キャプテン翼」
が好きでサッカーチームにも入り、
▼「釣りキチ三平」
が好きで近所の公園や川で釣りをしたり…
朝、早起きして森に入って、クワガタを捕まえたりしていました。
※周りに影響されやすく、すぐ行動する小学生時代でした。
中学生時代
■生活習慣:小学生時代とうってかわってインドア派に。
習いごとに疲れて反動で全て辞めてしまいました。
でも、習いごとに通っていたおかげで、
体育も人並みには出来ましたし、勉強の成績も中の上くらいでした。
今、思えば親に感謝です。
帰宅部だったので友人との交流も少なく、恥ずかしがり屋で、全くモテませんでした。
しかし、数少ない友人とは、お互いの家を行き来して、遊んでいたように思います。
そんな仲の良かった友達の家にある日遊びに行くと、パソコン(NEC PC98 )がありびっくり!
私の記憶が正しければ、
▼「ギャラガ」
がパソコンで遊べたのです。
※注:似たようなシューティングゲームだったかもしれません…。
自分はゲームなんて贅沢品を到底買ってもらえないと思っていたので、
当時、まだ元祖ファミコンが出始めのころ、学校が終わったらその友達の家に遊びに行きパソコンでゲームをする毎日でした。
ゲームをしたい一心で、「勉強に使うから」…と、父におねだりしてパソコンを誕生日プレゼントで、買ってもらうことが出来ました!
「イース」「ザナドゥ」などRPGが好きでした。
この時、パソコンを買ってもらっていなければ、今、ここでブログを書く事はなかったかもしれません。
父は「贅沢は敵だ!」と、言いながらもちゃんと必要な事のためにお金をやりくりしていたんだ!
と、自分が親になった今では尊敬しています。
高校生時代
■生活習慣:塾に行かなかったものの、第一希望の高校に入学することが出来ました。
私服の学校だったので、ファッションに興味を持ちました。
DCブーム&バブル景気でブランド品は高くておこづかいでは買えませんでしたが…
似たデザインで安いものを探して購入してコーディネイトを楽しんでいました。
この頃の生活習慣が今も物販に携わっている所以だと思います。
高校に入るまでは、外食をほとんどしたことがなかったのですが、土曜日に当時は午前中だけ授業があり、ランチを友達と食べてから街で遊んで帰るのが、毎週の楽しみでした。
この頃もまだ、祖母と母は仲が悪かったので家にはなるべくいたくなかったのです。
でも、バイトは禁止されていたので遊んでばかりもいられず、夜には普通に家に帰るしかなかったのですが…
自分でお金を稼いで、
自分で家を買って、
好きな人と結婚して、
自分は、父よりも幸せな家庭を築きたい!
という想いが、この頃からどんどん強くなっていきました。
高校時代の友人とは、都合が合うときに今でも飲みに行ったりしています。
大学生時代
■生活習慣:高度情報化社会が訪れると考えて工学部に入学しました。
親にも学校にもバイト禁止されなくなったので色々なバイトを掛け持ちしました。
・家庭教師…時給数千円、休憩時に毎回ケーキをご馳走してくださったり高待遇。
・コンビニ…時給が安め、品出し、レジ打ちなど意外と覚える事が多い。
・ファミレス…時給普通、食事に安くありつける。簡単な料理が出来るように。
・デザート工場…時給高め。単純作業でベルトコンベアとの戦いの日々。
・プールの監視員…時給高め。何も事故なければ、定時に塩素濃度を測るだけだった。
インターンシップもない時代でしたので、
将来どんな仕事が自分に合うのか試してみたかったのです。
バイトで忙しく過ごしてたある日、
小学生時代に同じそろばん教室に通っていた幼なじみから「久しぶりに会わない?」と電話がありました。
懐かしいなぁと思い、喫茶店で待ち合わせして会うことにしました。
待ち合わせ場所に行ってみると、幼なじみは何故かスーツ。
「就活の合間の忙しい中きてくれたのかな?」
と思ったのつかの間、思い出話もまだ覚めやらぬ内に「商売」の勧誘が始まりました。
10万円位の会費を払って入会すると、ブランド品や貴金属などを卸してもらうことが出来るというもの。
「怪しい!」と感じながらも、バイトよりも効率がいいかもと思い、興味半分でやってみることにしました。
当時は、携帯やSNSもない時代。
友達に対面で販売をしていました。
「もうすぐ、会費の10万円位の利益が出るぞ!」と思い始めた頃、その会社は潰れてしまいました。
当時は、紹介して買ってくれた友達とこじれそうになりましたが、
仲直りも出来ました。今思えば、いい経験です。
社会人時代~現在
大学卒業して社会人になって、希望に満ちあふれてがむしゃらに頑張っていました。
30歳位までは、比較的順調に出世して好きだった彼女とも結婚できました。
子供が生まれるまでは学生時代にゲーム機を持っていなかった反動で、スーパーファミコンやPS2を購入しました。
妻もゲームが好きだったので外出しない日はゲーム三昧で過ごしました。
▼ストリートファイターⅡ
▼桃太郎電鉄
人生、全て思い通り!
とイキっていました。
調子に乗って、35年ローンで家を買いました。
立地や間取りなど、妻と考えてその当時は予算内で購入できる最高の物件だったのです。
「このまま給料が上がっていけば余裕でローンも払えるっしょ。」
そんな時、予期せぬ事が起こってしまったのです。
地方に人事異動の内示を受けたのです…。
いずれ、自分も異動するとは思っていましたが、まさかこのタイミング!?
家を購入する契約はしたけど、完成するのは半年以上先なのに…。
色々なことを考えましたが、ローンもこれから払わなければならないし内示を受けることにしました。
最初は、「単身赴任かぁ、子供かわいい時期なのになぁ」
と、一人で地方に行くつもりでしたが、
妻が「私も子供連れて一緒に行くよ!」と地方について来てくれました。
子供もまだ就学前だったので、引越ししやすかったです。
そして、半年が過ぎ地方での生活&仕事にも慣れて来た頃…
妻と「もうすぐ、家が完成して住めるようになるけどどうする?」
という話になりました。
「せっかく新築で買ったんだから、最初から住みたいよね。」
「家って誰も住んでないと換気されずに傷むっていうし…。」
「私、息子連れて東京に戻ろうかな?」
と、妻が言いました。
「一人暮らししたことないし、寂しくなるなぁ」と、内心思いましたが、
もっともな考え方だと思ったので、私だけ地方に残る事を覚悟していました。
そうこうするうち、異動の希望を会社に提出する時期が近づいてきました。
「家族は、一緒にいてこそ家族だろ!」という気持ちが日に日に高まってきました。
妻とも相談して結局「東京に戻りたい」と、会社に希望を出しました。
そして、内示発表の日まで毎日ドキドキしながら過ごしました。
しばらくして、内示がでました。
結果は… 希望が叶って新居から通える場所に異動が決まりました。
これで、「家族みんなで新築の家に住めるね!」と、喜んだのもつかの間、内示の内容を見ると給料が下がる異動だったことが分かりました。
「給料が下がってもいいから異動したい」なんて希望していないのに…。
数日間、モヤモヤしながら過ごしていました。
そんな私を見て、
妻は「一緒にこれからもみんなで暮らせるね。少し位、給料減ってもいいじゃない」
と励ましてくれました。
「この人と結婚して本当に良かった。」と思いました。
「よし、こうなったらがむしゃらにやるしかない。」
と、仕事に全集中した結果、半年で昇給してまた元の給料に戻す事が出来ました。
この時は、我ながら頑張ったと自分自身を褒めたい位です。
その後、次男が誕生。現在4人家族で暮らしています。
その後も人事異動を10回以上しました。
平均すると2年に1回位のペースでしています。
変化があって楽しい反面、慣れるまでは心身ともに疲れます。
通勤時間も歩いて10分から100分と様々。
首都圏の通勤ラッシュは会社に行くだけでグッタリしてしまいます。
そして職場の人間関係や業務に慣れた頃にまた異動。
年上の会社の先輩を見ていても自分より給料が多いはずなのに
金欠でいつも困っている様子です。
自分の未来がなんとなく想像できてしまいます。
サラリーマンって社会的には比較的信用あるけど、意外と自分の思い通りにならないこと多いなぁ、とあらためて思います。
せどりに出会うまで
長男が生まれてから、お金のことを考えるようになりました。
子供が生まれるまでは、根拠のない自身で「人生なんとかなるだろう」と考えていました。
しかし、美容院で普段見ないような雑誌をたまたま手に取り読んでみると
「子供一人あたりのかかる費用は3,000万」というような記事を見たのです。
「3,000万っていったら家が買えるじゃん!?」
「そんなにかかるの?そんなにみんな払ってるの?」と思って読み進めると、
幼稚園から大学までオール私立だと3,000万位かかることがわかりました。
全部公立の場合は、800万位で足りそうなこともわかりました。
少し安心しましたが、
「それでも結構かかるぞ!このまま何も考えていないとヤバイ」と思い、FPの資格を取得しました。
ライフプランの考え方や税金の知識は増えたものの、
肝心な「お金の稼ぎ方」は自分で考えないといけない事に気づきました。
以前は、昇進試験なども受けたりして
「サラリーマンとしてもまだ給料がもっと上がるかも?」
と楽観的でした。
子供達が中学生ぐらいまでは、二人とも公立であまりお金もかからず、
旅行も夏は海水浴、
冬はスキー
に行ったりしていました。
しかし、子供が大きくなり長男の大学進学が現実的になってきた昨年、
「私も定年まであと約10年、もう定年後の働き方も考えなきゃダメだ」
「100歳まで生きるとしたら定年後の40年を楽しむためにもお金が必要だ」
と焦り始めました。
実は、社会人になってから今までお小遣い稼ぎには色々と挑戦してきました。
・株…初めての売買で3,000円ほど儲けた1週間後に20万失う。
・FX…スワップ金利狙いで南アフリカランド円購入→リーマンショックで10万円失う。
・BO…バイナリーオプション約5万円ほど儲けた後、調子に乗り10万失う。
・せどり…2回の出品で売上3万、利益6,000円。
・投資信託…毎月1万円を半年間、積立運用して利益5,000円。
・不動産投資…勉強後、空き室リスクの不安と多額のローン返済が心配でやめる。
・アフィリエイト…自己アフィリエイトで稼ぐが継続して稼げる案件少ない。
以上の事から、私の今の実力で
収入が増やせる可能性が高くローリスクなのは、
第1位…「せどり」
であることがわかりました。
今後は、「仕入れ→出品→販売」を可能な限り自動化して、
売上規模を拡大したいと考えています。
※「投資信託」は、長期運用が基本で必要な時にすぐ現金化しづらいことから、
自分の中で第2位でした。
しかしほったらかしで良いので、また取り組もうと考えています。
おわりに
これから、みなさんと一緒にせどり・物販の情報を共有して収入をアップし、
人生を豊かに楽しんでいきたいと考えております。
これからもどうぞよろしくお願いします。
いっせい
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